2011年3月12日土曜日

本日の同期会について

連絡が遅くなりましたが、本日の同期会は、中止延期の連絡も難しいので
取りあえず開催します。
しかし出席が難しい方は無理をしないで下さい。
後日別途近いうちに開催できないかを検討します。
よろしくお願いします。

幹事一同

2011年3月8日火曜日

第9回同期会出欠状況

2月末現在、47名の出席となっています。
まだ受付ていますので、連絡をお待ちしています。
(また、当日の飛入りも歓迎します)

先生 田中成先生、野村輝夫先生、(椎木琇三先生)

3A 及川正明、岡田三郎、小池静男、森田茂、
       内藤美枝子、倉沢(小西)幸子、横沢(吉村)信子

3B 倉崎信一、市原浩篤、今野重明、狩野 豊
       市川(大泉)百合子、酒井(西間木)むつ子

3C 金子修、草部博達、工藤能成、小林紀夫、高野幸雄、
       今田(花岡)百合子、星埜(下郡山)直子、横田(山田)二三絵、根上(吉田)順子

3D 榎本哲典、神山久男、田中(堀)博範、村瀬直良、
       秋山(石川)令子、石原(軽部)恵子、伊地知(長谷川)照子、稲玉(矢沢)春代
       金子(西田)京子

3E 新井法敏、稲多成一、清真人、嶋田幸男、朝見明
       加藤(松島)由美子、小室(横尾)洋子

3F 粕谷晴男、竹内秀春、藤野育三、山内裕
       児玉(小杉)早苗

       斯波恒正

以上47名(+飛入参加)

2011年1月25日火曜日

第9回同期会のお知らせ

松中へ入学したのが昭和36年(1961年)のこと。桜が満開でした。それから何と何と50年が経ってしまい、もう皆すっかり〇〇ー・□□ーと言われる歳に!まあ、そうは言っても久しぶりになつかしい顔に会ってみませんか。人生はこれから…です。どっと笑っておもしろおかしく皆で楽しい一時を過ごしましょう。

日時 3月12日(土) 13:30〜16:00
場所 松ノ木中学クラブハウス(プール横です)
会費 1,000円

なお、出欠につきましては、別途葉書でご案内していますが、メールでも受付けています。

メールアドレス  管理人へ

よろしくお願いします。

自称幹事一同

第8回同期会(09年1月31日)

 第8回同期会(2009年1月31日)が中野サンプラザで開催されました。
















2009_01_31_第8回同期会


 ●参加者
 15期生同期会皆さんお疲れ様でした。取り急ぎまとめておきました。
 2009.1.31還暦同期会〈中野サンプラザ)の出席者は下記35名とのこと。
 集合写真等〈私の手元にはないので)漏れがあった場合はご勘弁下さい。
 卒業当時に「ほのお」に全員が書いた卒業生寸言も付記しておきます。
 草部 博達
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 第8回同期会(2009.1.31) 出席いただいた田中成先生よりの言葉
 「60歳はまだまだ若い、もっとはたらけ、もっとはたらけ」

 【出席者と卒業生寸言〈卒業文集ほのお17号:1964より)】
 卒業を控えた卒業生全員がほのおに掲載する文章(一行)を書いたものから抜粋
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 出席者(2009.1.31)         卒業生寸言 ほのお17号:1964.3月より
 3A及川正明              「吾以外、みな師」
 3A岡田三郎        「楽しむべし、三年間」
 3A森田茂                  「今日の仕事を明日まで延ばすな」

 3B市原浩篤               「たゆまぬ努力に未来は輝く」
 3B倉崎信一               「卒業は人生の再出発」
 3B多賀一郎               「誠実努力実現がそろえばよし」
 3B八塚明史               「男子一生の仕事が楽に出来上るものと思っているのか、馬鹿! 実篤」
3B小林みや子(大村みや子) 「学校は青春の広場なり」
 3B村山しげ子(木内しげ子)   「人にはみなそれぞれ欠点がある」
 3B市川百合子(大泉百合子) 「心の底にともしびを」
 3B千羽富紀子(北川富紀子) 「蛇のように賢く はとのように素直であれ」

 3C金子修                  「花よりだんご、勉強より遊び」
 3C草部博達               「勝利はもっとも根気のあるものにもたらされる」
 3C工藤能成               「玉みがかずば光なく 勉強せよ」
 3C小林紀雄               「無知を恐るる事なかれ」
 3C野々村英一            「志を立てるのに遅すぎるということはない」
 3C星埜直子 (下郡山直子) 「人生において努力のみが勝利への道である」
 3C今田百合子(花岡百合子) 「あたたかい心で」
 3C岡崎三枝子(丸田三枝子) 「別れてもよりよく、すばらしい再会がある」

 3D榎本哲典                「仰いで天に愧じず、伏して地に炸じず」
 3D尾形明則                「汝自身を知れ」
 3D神山久男                「努力をなすことに終りはない」
 3D梶山誠                   「何人にも愛され、明るい人間に」
 3D中村和男                「少年よ大志を抱け」
 3D田中博範(堀 博範 ) 「意志の存するところ方法あり」
 3D村瀬直良                「実行は最高の手段である」
 3D藤沢幸隆                「約束は易く、実行は難し」
 3D伊地知照子(長谷川照子) 「さあ行こう!無始であり無終である未来へ」

 3E朝見明                  「夢で逢いましょう」
 3E新井法敏               「沈黙とは言葉よりはるかに雄弁である」
 3E島田幸男               「お手紙下さい」

 3F石川一美                「つねに明るい、大きな夢を描け」
 3F竹内秀春                「若い時には苦労は買ってでもせよ」
 3F持木茂                   「戦利の馬も滄海の一粟、ただ千里の馬は錘股の勉」
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(判明している)既に亡くなられた同期生を偲び、彼らの残した 【卒業生寸言〈卒業文集ほのお17号:1964より)】も紹介しておきます。
(小島享、沢栗正生は最近の情報で確認中)

 3A 松浦究                 「努力」
 3A 花房泰子             「自反而縮口品雖千万人吾往矣」
 3B 原恵美子             「ファイトを燃やして進もう!」
 3C 川井由寛             「人間は努力する限り迷うことがあるものだ」
 3C 小島享                 「友情とは、もっともすばらしき愛情である」
 3C 沢栗正生             「やればできるさやってみろ」
 3C 宮本登                 「我、滅びに至っても学問は、尽きず」
 3C 大高明子    「努力!忍耐!決断!」
 3E 西松義夫             「登山の如く一歩一歩」
 3E 星誠一                 「一生はやがて眠りで終わるのだ」
 3E 土橋三千恵         「最悪の孤独は、一人も親友がいないことだ」
 3F 大野明                 「希望は貧しき人のパンである」
 3F 島津三枝子           「日々に新にしてまた日に新なり」

(敬称略)
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管理人

     

第8回同期会出欠状況(09年1月21日)

1月20日現在、32名の出席となっています。
まだメールで受付ていますので、ご連絡をお待ちしております。


[出席]

  先生:1名

   田中先生

  男子:23名

   島田幸男 神山久男 及川正明 岡田三郎 倉崎信一 
   八塚明史 野々村英一 榎本哲典 尾形明則 梶山誠
   中村和男 藤沢幸隆 田中博範 村瀬直良 持木茂 
   竹内秀春 小林紀雄 草部博達 工藤能成 新井法敏
   市原浩篤 多賀一郎 森田茂

  女子:8名

   市川百合子 村山しげ子 千羽富紀子 星埜直子
   今田百合子 伊地知照子 岡崎三枝子 小林みや子


管理人

第8回同期会のお知らせ(2008年11月30日)


60才という大きな節目の年にあたり、還暦同期会を企画しました。
ご多忙中とは存じますが、皆様お誘いあわせてご出席くださいますようご案内申し上げます。
- 記 -
日 時:2009年1月31日(土)  15:00開始
場 所:中野サンプラザ  15階
会 費:9,000円(当日受付でお渡しください)
なお、出欠につきましては、別途葉書でご案内しますが、メールでも受付けています。


管理人

第7回同期会(2006年2月11日)


2月11日(土)新宿プリンスホテルで6年ぶりに同期会が開催されました。
日時   2月11日(土) 17:30~21:30
場所   新宿プリンスホテル プリンスバイキング
参加者  先生4名(野村先生、竹崎先生、田中先生、椎木先生)
同期生38名(A:1名、B:7名、C:11名、D:8名、E:5名、F:6名)

スナップ写真
第7回同期会その1(2006_02_11)
第7回同期会その2(2006_02_11)

ビデオ








管理人

第5回同期会(2000年4月22日)

松ノ木中学クラブハウス


第4回同期会(1998年10月24日)

松ノ木中学クラブハウス

第3回同期会(1998年6月27日)

松ノ木中学クラブハウ
















早川先生ビデオ




花房さんビデオ






第2回同期会(1975年?月?日)



第1回同期会(1974年1月27日)


場所 松ノ木中学 34名

ほのお17号 先生方の印象補足

★昭和39年3月の卒業時発行の文集「ほのお」の 先生方の印象について

卒業間際に皆に「ほのお」が配られた時、八塚君が早川先生についての文を書いたのは誰だろうと私に聞いてきたことを覚えています。多分清真人君が書いたんだろうと答えた。
先生方について書いた文には最後にイニシャルがあり、多分その担任のクラスの誰かが書いたんだろう、それもクラス委員や、ある程度目立つかスポーツなどで活躍していた生徒が依頼されたのではないかと思います。
確かに、イニシャルからはB組の宇賀神先生を書いたのは「滝しづ子」さんだろうし、渥美先生について書いたのは「山内洋隆(ひろたか)」君だろう。また、C組の青木先生については「野々村英一君」の文だろうとおおよその見当はつきます。わからないのはA組とF組でそのクラスにはそれらしき人がいないので八塚が書いた人がわからないと言っていた。確かに、A組男子には(T.H)なるイニシャルの生徒はいない。花房泰子は人気もあったしクラスでもめだっていたから彼女が「ぼく」という形で男性が書いたような文にしたのかな、なにか土佐日記の「おとこもすなる日記を女もしてみむとてすなり」とかあったのを思い起こすけどまさかそこまですることはないだろうから他のクラスの人なのかイニシャルがあてずっぽなのかこれはわかりません。F組の文は追って紹介するけれど、実はこれも誰が書いたかF組の人ではないのかも知れないとも思ってしまった。この「ほのお」は17号で、私は姉(15号と多分12号)も見ていたのだけど、表紙が蜘蛛の巣に木の葉ひっかかってるような印象的なものだったのを覚えてる。また、17号は黒地に字の部分が白抜きで「ほのお」というタイトル3 文字がかかれているけど、山野先生が白抜きにすると印刷代がかかるとかあまり好きでないとか(内容は不確か)なんか白抜きについてコメントしていたのを覚えている。

当時の教師と生徒の関係というのは今から考えると想像もできないくらい学校の先生に対して生徒や親からの信頼が熱かったと思う。先生が多少問題があるとしても、それは、かの早川先生が若気の至りでよく生徒をなぐったり、コンパスでアタマを殴ったりしたことや、数学のテストがあまりにも難しくて平均点がいつも低く、中間・期末テストでは50分のテスト時間では幾何の難しい補助線をひいたりする問題が解けなくて、毎回決まって後半に各クラスを早川先生が回ってきてニヤッと笑いながら「みんながまだあまり解けてけてないようなので時間を15分延長します」というとクラスからはこれで何とか最後まで証明をかける、といった安堵のため息と「時間延ばしたってわかんねえよ」の数学苦手グループの両方の思いがクラスをよぎった。問題はそのくらいで、生徒も先生も信頼があったし一生懸命であったことはどの先生にも共通していたと思う。一人の先生(大塚先生の理科)が5分間テストをすれば、井田先生もとりいれて英単語の5 分間テストを毎授業のはじめにする、という具合だった。

この当時の映画に「つづりかた兄弟」というのがあったけど、貧しい家の兄弟がつづり方、作文で入賞する、貧しさのために兄弟の一人が死ぬ、つづり方の文が入選する、兄弟の一人が死んだあと新聞社が取材に来てかげで「作文のうまい子供が何人もいるとこのうちには大金がはいるだろうなあ」というのを耳にして子供が「おじさん、僕達はお金がほしいとか有名になりたいから書くんじゃないんだ。ただ、弟が
死んで悲しかったから感じたこと、書きたいことがあるから書くんだ。」と訴えるのだけど、この映画では夜寝るときに布団の上で戦地にいっている父のいる南方に向かって土下座し、学校の先生の家の方向に向かってまた土下座し、それから床に就くというシーンがある。この時代の教師と子供との信頼関係というのはそれほど強く、「先生とお父さんのいる方向にに挨拶してから寝なさい」という母親も同じだったのだろうと思う。
この映画を2年前に「日本映画名作」のCSで見たとき、子供の頃学校で見た映画であることを映画の別のシーンを見て思い出し、そうか、この映画だったのか、と思った。 
( 2006年12月22日 草部)

卒業写真:先生


卒業写真:校門


卒業写真:3年A組


【椎木先生】
ぼくの第一印象は、『体育のおっかない先生』という形で残っている。
若くてきびきびした先生、そこにスポーツマンという感じがした。
三年になって、ぼくらの担任になった時、一年の時とは別に、新しい印象を得た。
明るくほがらかで、思っていることを全部いってしまう先生、そんな感じがした。
ちょっととけこみにくい気もするが、悪いことは徹底的に注意する。
そしてぼくたちの相談にどこまでものってくれる。
H・Rを楽しく、皆で協力するようにクラスの雰囲気を盛りたててくれたし、授業でも教科書を読むより話をしてくれる方が長く、その話の中でかんたんに、わかりやすく説明してくれた。
一部の人でなく全部の人に、平等にあて、答えさせる。これが三年間の椎木先生の印象である。良いことばかり書くつもりはなかったが、悪い点は見つからず自然こうなってしまった。
(T・H記)

卒業写真:3年B組


【宇賀神先生】
思い出せば二年前「静着」ということばで始まった最初の授業。
読めば字のごとく静かに席に着くということである。
それ以来、今までシバシバ耳にした言葉も現在は消えさろうとしている。
しかし、宇賀神先生と言えば「静着」を思い出す人は少なくないだろう。
先生を内容的に分析してみると、最も誠実で落ち着いていて他に類のないママ先生である。
授業中横道にそれた事はない。
しかし雅子ちゃん(先生の子供さん)の事になると、目を細めてほほえみながら語るのである。
もうひとつ忘れてならないことは、あの小さな体で男の先生にも負けないぐらいの声で授業をしてくれる。
でも、なんとなく先生らしい感じのしない先生である。
規律にはきびしく、クラス全体何度となく注意されたことであろう。
清潔好きであることは言うまでもない。
昼食の時は皆が揃ってから「いただきます」と、いって食べ始める。
皆がめんどくさがっているのにもかかわらず、不思議なことにこのニ年間ずっと続いている。
悪く言えば封建的、良く言えば規律正しい、主体性がある。
しかし、人一倍私達のことを考えていてくれている。
書きたい放題書いてしまったが、先生の小さな体も、私達の高校入試の為に、又
いちだんと小さくなるのではないだろうか?
最後にXさんいわく、「話せないけどいい先生。」 Y君いわく「親しめる先生」だそうである。
(S・T記)

卒業写真:3年C組


【青木先生】
僕達三年C組の担任で、国語を担当しておられる。
先生は目が少しくぼんでいて、日本人ばなれしている。
そしてそのぎょろりとした目には威厳があり、ちょっとおっかない感じである。
でも普通めったなことがないかぎり、おこらないやさしい先生である。
先生は定評あるまじめな先生で、授業もいろんな説明をつけてよく理解できるよう教えて下さる。
もちろん僕達のよき相談相手ともなって下さる。
進学や就職のことなどについては、まるで自分のことのようにいろいろ世話をして下さった。
ある面では僕達のお父さんといっても言い過ぎではないだろう。
これから先、いつまでもお元気で、そして尊敬される先生として、松中発展のためおおいにハッスルして下さい。
(E.N記)

卒業写真:3年D組


【渥美先生】
渥美先生は四月に松の木中学へ来たばかりです。
三年D組の担任に決まり、僕らと顔をあわせた早々「おれはインド生まれだ。」と言われてまずびっくり。
とても明るい先生で親しみやすいタイプである。
今までおこられたことは二度か三度しかない。
それもたいてい次の日に「きのうは頭にきて悪い事をしてしまった。
血圧が上がるからあまりおこらせないでくれ。」などと言われると僕らが先生をうらんだことを悔やんでしまう。
先生の性格は名前のとおりあつみがあっていつも落ちついている。
一口に言って徳川家康のようである。
ニックネームも家康のことが何とかおやじといわれるごとく、その何とかでとおっている。
ともあれ先生は僕たち一人一人に対して大変心配してくれる。
そして勉強のことなどいつでも僕たちをはげましてくれる。
ひまな時を見つけて何回も個人面接を行い、絶えず僕たちの成績を注意されている。
僕たちの沈んでいる時は笑いを与えてくれ、僕たちが自信を失なってしまったときはファイトを出させてくれるのはいつも渥美先生である。
そのまじめな顔、そのおこった顔、そのどれもが僕たちの心のろうそくとしていつまでも燃え続けることでしょう。
(H.Y記)

卒業写真:3年E組


【早川先生】 
僕達の早川先生は、とてもすばらしい先生です。
先生はまるで僕達の兄貴といった具合です。
僕達の一人に言わせればこうです。
「先生ってせんせいらしくないやあ!全然おれ達と気軽いんだぜ。」
「先生 今日遊びに行くよ、ヨウカンぐらい出して下さいよ。」
先生は、僕達を信じていてくれます。
だから、その信頼を僕達が裏切ると、先生は本気で怒ります。
その怒り方の激しさといったら、僕達は身をもって知らされます。
でも僕達は、真剣になって怒る早川先生が大好きです。
ちょっと青くさいけど、とても青年らしくって好きです。
早川先生万歳
先生よ、大いに怒れ、そして僕達から、弱いもの、汚いもの、すべての悪心を追い出してください。
(K.M記)

卒業写真:3年F組


【大塚先生】
先生は鴨居にぶつかるかと思われるほど背が高く、私など、うらやましいしだいである。
きっと 先生方の中でも一番背が高いのだろう。
遅刻をして、HRが始まっていると、その人が顔を出すと同時に「バカヤロウ」という。しかし、そのあとは決まって笑い顔。
又、授業の時などでも、うるさい人がいると、急にその人の名を大声で呼ぶことがある。
そんな時など、ほんとにびっくりしてしまう。
私など、持っていた鉛筆を思わず落としたことがある。けれど、この時も、そのあとは笑い顔。
授業にいらっしゃる時は、片手に問題集、教科書、テスト用紙、チョーク入れと、積み上げて、ゆっくり歩いてこられる。
そして、まずテスト。このテスト、時にはいやになるが、これのおかげで理科の成績を他の教科より良くできたのだと思う。
このことが、私達が、先生に感謝することの一つだと思う。
(M.T記)